アンドラ旅行記

アンドラまで・・(by kioさん)

アンドラ
バルセロナに滞在している間にスペインとフランスの国境、ピレーネ山脈の山中にある小国アンドラに行って見たいと思った。アンドラ国は香港やシンガポールのように関税が無いタックスフリーの国としても知られていた。
バルセロナ駅から出発してアンドラに一番近い駅はスペイン側の国境駅、puigcerda という駅が地図上では最寄の駅のように見えた。 トーマス・クック社製の時刻表でバルセロナから2時間程の道程と確認し早々にバルセロナ駅頭に向かい列車の到着を待っているとホームに立つ私に旅行者然としたトランクケースを持った老婦人がオズオズと話しかけてきた。

「英語は話せますか?」年の頃は、70歳近いかと思われる大柄な白髪の女性だった。
「ほんの少しなら・・」 と短く答えた。 本当はもっと若いのかもしれない。声に張りがあった。 アメリカ人だと名乗るその女性は「ここに来る列車はフランスに向かうのか?」と私にも判るゆっくりとした英語で尋ねてきた。私は短く「ええ・・多分」と答えた。英語力に劣る所為で英語のネーティブ・スピーカーと話す事を避け気味だった私がアメリカ人と名乗るこの女性を避けなかったのは、東洋人の私に話し掛けてくるほど、何となく切迫した雰囲気と不安げな様子が感じられた事と、独り旅の年配者が頼りにしてくる事をとても邪険には出来ないという私の性分だった。
彼女は杖をついて片方の足を軽く引き摺っていた。

列車が入線すると始発の所為で車内は自由に席が取れた。私は4人掛けの座席を独りで占有し、その女性は通路を挟んで私と同じ列の4人掛けの座席を占有した。アメリカを出国して欧州を旅して二週間になるというこの女性は、銀縁眼鏡の奥に程よい知性を感じさせた。ペンシルバニアの州立大学で美術を教えていると云う。キャロル・○○○と名乗った。後にアドレスを交換したがファミリーネームは失念した。
「独りで旅をしていて不安な気持ちにはなりません?」 足を引き摺る老齢ぶりを心配した私はつまらない事を尋ねた。
「あなたみたいなジェントルマンと出会えるから愉しいものよ」 微笑みながら答える。
アメリカ人は真顔でお世辞を云うのが上手だ。エンブレムや各都市のワッペンで溢れている私のザックを見ながら大袈裟にワオ〜と叫ぶ。

「今まで随分と旅してきたようだけど何処の国が印象に残った?」キャロルが尋ねる。
「フィンランドが良かったかな」
「 オオオォォォォ-あんな寒い国・・どうして?どうして〜?」と云いながら身体を大袈裟に仰け反らせる。
「多分、氷の国で気立ての良いフィンランド娘と過ごす事が出来たから印象が良かったのかも・・・・・・それぞれの国が気にいる事になるのは、その国の人と良い出会いや良い関係が持てたか、美味しい食事に出会えたかのどちらかだと、思う」 たどたどしい英語で怪しげな自説を説くと大仰に頷きながらキャロル小母さんが云う。
「そして・・あなたはバルセロナからフランスに向かう車中で昔のヤングガールと出会った」笑いながら云う。私は口の中でモゴモゴさせながら日本語でいえいえ、う〜ん・・(´ヘ`;)ハァなどと、いささか押され気味に返事にならない返事をしてみたりする。

老いていると云え、このアメリカ人のハートとマインドがとても良かったのは、18歳の娘な如く、感性がとても若く、面白がる精神、愉しみたがる気持ちが満ち溢れる程に旺盛だったことだ。車窓から石積みされて出来た古いアンティックな家並を観ただけで、私のセーターの袖を摘んで大袈裟に見なさい!素晴らしいわと同調を求めるように叫ぶ。 きっと日本の田舎を旅したらこのキャロル小母さん、車窓から見える農家の茅葺屋根や藁葺き屋根に、きっと卒倒するほどに感動するだろうなと思ったが、とても英語でキチンと説明出来そうにもないので、思っただけにした。

「ところで貴方は何処に行くの」
「アンドラというピレーネ山中の谷間にある小さな国に行きますが」
「そんな国がこの先にあるの?私もそこに行ってみようかしら」
「え?フランスに向かうんじゃなかったの?」と些か狼狽気味に尋ねる私。
「特に何の予定も無い旅だからいいのよ。待ってくれる人も居ないし、是非行きたいわ」
「で、あなたは学生?」
「いえ、仕事をちょいとだけリタイアして長い旅に出てる」
「リタイアですって!!?? あなたいったい幾つよ?」と仰け反りながら大笑いするキャロル小母さん
「20代だけど・・」私はちょいと休暇の積もりでリタイアなどと口走っただけの事。その程度のボキャブラリーで旅している私。


アンドラ入国の最寄駅のpuigcerda駅が近づいて私がザックから地図を取り出したり 旅支度の準備を始めると、キャロル小母さんも立ち上がり、荷造りを始めた。
どうやらキャロル小母さんはアンドラ行きをすっかりと決めてしまったようだ。

駅への到着時間は正午を過ぎていた。駅に降りると、閑散とした本当に何もない場所だった。
駅前には時間つぶしの喫茶店やレストランさえなかった。
幾人かがこの駅で降りたがそれぞれ三々五々に散っていくと駅頭に残ったのは旅行者の我々の他に、私と同様なザックを背負った三人組のバックパッカー娘達だけだった。三人ともザックの真ん中にメイプルのカナダ国旗を縫い付けてある。カナダ政府は海外を旅するバックパッカーに無償で国旗のワッペンを提供すると、旅先で出会ったカナダ人から聞いた事があった。ザックと真っ赤なカエデをあしらったカナダ国旗はとても良く似合っている。

駅前のバス停留所でアンドラ行きのタイムテーブルを皆で確認した。
何とバスは20分前に出たばっかりで、次のバスまでは5時間もある事が確認できた。
更にアンドラ行きのバスは日に2本しか運行していないようだった。我々は列車とバスとの連絡の 悪さ、コネクションの無さをそれぞれの国の言葉でなじった。
バックパッカー三人組の一人は「クソッたれ!」と娘に有るまじき品の無い言葉を吐いた。

        
するとバス停の前で思案している我々5人にタクシードライバーがニヤニヤしながら近づいて来た。 人の弱みに付け込んで近づいてくる時の輩の風情、たたずまいは実に万国共通なものだなとつくづく思う。

「アンドラ?」
「si si」と一つ覚えのスペイン語でイエスと答えると、タクシードライバーは畳み込む様に 吹っ掛けてきた。一万ペセタ<三万円>だという。スペインで行商を少しやっていた所為で商売にスペイン語の数字だけは必須なので否応にも覚えた。MILに数字を付けると千の単位になるのだ。キャロル小母さんや三人組みパッカーにもその金額を伝えた。誰もスペイン語はさっぱり判らぬようで、妙に私を頼りにしているような非常に誤った考えを持ち始めていた。

「USドル換算だと幾らになるの?」キャロル小母さんが尋ねる。
素早く、スペインペセタから日本円に換算し更にUSドル換算を暗算で弾き出し、150ドル見当かなと答えると、今度は5人で割ると一人幾らになるの?とカナダ娘の一人が尋ねる。彼の国の人々は暗算が苦手だと聞いていたが、私はとても深く納得した。30ドルでしょと答えると皆が一斉に高すぎると騒ぎ始めた。もっと早く気がつけよ・・君達・・
 

 私は身振り手振りでここからアンドラまでの距離を英語を解さないドライバーに尋ねた。
理解したのか「setenta cinco」と答えるタクシードライバー。私は頭の中で指を折りながら75という数字を弾き出した。数字の読み方は規則性があるから覚え易い。でも丸暗記だから1の位、10の位、100の位とそれぞれ最初から数えていかないと正解に辿り着けないのが情けないと云えば情けなかった。
75KM走って3万円か・・スペインでタクシーに乗ったことは無かったが世界一高いと云われる東京のタクシー並じゃないかと感じた。我々はタクシーの運転手のオファーに対して値切りはじめた。キャロル小母さんだけはその金額でも構わないという態度を見せるが、私とカナダ娘達に取ってはとても納得できるものではなかった。小生意気なカナダ娘の一人が云う。
「一人負担10ドルということで話してみてよ」と無茶苦茶な事を言い出す。
「それはちょっと難しすぎる。交渉にならない」と却下・・
ドライバーは8000ペセタまでディスカウントしてきたが、それにしてもこのドライバーは5人乗りのタクシーにドライバーも含めて6人を乗せようとしている。キャロル小母さんは物凄いヒップの持ち主だった。一人で席を二人分は占有しそうだった。三人乗りの後部座席に騒がしいカナダトリオに挟まれながら座って75kmも移動する苦行を想像するとゲンナリとした気分になっていった私は、俺はバスが来るのを待つと宣言した。雲行きが怪しいと察したタクシー運転手は、 幾らにすれば乗ってくれるのかというような事を多分?言い出し始めた。
「もう遅いよ。終わった話・・」 私は日本語で運転手に言葉を返し皆から離れていった。


それにしてもカナダの三人娘は兎に角、四六時中喋りまくっている。私と同世代だったが、 英語を母国語としている人間と英語で話すというのはとても疲れるものがある。  

私は日本語では<noisy>という言葉は女が三人<姦しい>と漢字で書く、という事を説明するために、大変なエネルギーと労力と数少ないボキャブラリーを駆使して三人娘に伝えようとしたが、一人の勘の良い娘だけが理解して大いに受けて大笑いして納得してくれたが、すっかり消耗した私はそれ以後、次第に無口になっていく。英語国の人間と一緒に居ることに些か疲れてしまった私は皆に告げた。
「自分はオートストップ<ヒッチハイク>でアンドラに向かってみることにする。」
キャロル小母さんが私も一緒に行くと言い出したので、自分は随分と歩きながら車を探す積もりだから、あなたは駅で5時発のバスを三人娘と待った方がいいと思う、と同行をやんわりと断った。
「アンドラでまた逢いましょう!!」とキャロル小母さんと<姦し娘達>に大見得を切った私は大型ザックを駅に預けディバックを取り出して軽装でアンドラの山に続く一本道を歩き始めた。

車さえ通れば、案外早くヒッチ出来るかもしれないと気楽に考えていた私は、アンドラへ続く一本道をテクテクと歩き始めながら、車の通過を待った。途中、道路の反対側で行く先を紙に大書きした二人組のヒッチハイカーが居た。道の両端は牛飼いや羊飼いの為の牧草地帯が柵超えに長く続くなかの一本道である。ヒッチハイカーの一人が私に向かって両手を広げお手上げのポーズをしてみせたり、×印をしたりする。何故なら車がまったく通過しないのだ・・・
たまに通過する車は牛を積んだトラック車だったりする。牛の鳴き声、鳥のさえずりが空高く、澄んだ空気を通して聞こえてくる春のような陽気に私は歩くのを止めて、道の端の草むらに寝転がり文字通りの牧歌的空気を満喫しているうちにディバックを枕に寝入ってしまった。

どの位、寝入ってしまったのだろう。軽いクラクション音で目が覚めた。 私の傍らに赤いセダンが停まっていた。車には夫婦らしい中年の男女が乗っていた。窓から顔を出して私を東洋人と確認するとスペイン語から英語に切り替えて声を掛けてきた。
「どうしたの??具合でも悪いの?」
「自分は日本から来た旅行者です。実はバスに乗れずアンドラまで行く積もりで車を待っているところです」と相手に警戒心を与えぬように自分の氏素性と状況を丁寧に伝えた。
こんな時は自分も相手の様を注意深く観察するが、相手側は私以上にこちらの様子を観察するものだ。この時、国籍が日本だというポイントは実は結構高いものがあるということを私は経験的に知っていたから自ら日本人と名乗った。

「アンドラの中心地までは行かないけど、ボーダーでも良ければ乗りなさい」
アンドラ国境で充分!私は勇んで同乗させて貰う事にした。
道端で寝そべっていた訳の判らぬ東洋人を拾ってくれるのだから、出来るだけ相手に不安感を与えぬ様に私は聞かれた事は丁寧に快活に話すように心掛けた。二人ともアンドラの小学校で教師をしていると私に告げた。
私は車中、彼らからアンドラの人口が6万人位ということ、NO・TAXの所為で 欧州から年間に何百万も観光客が買い物に訪れる事、ガソリンも無税でヨーロッパで一番安い所為で、多くの車がスペインやフランスから流入すること、等を聞いたが、駅からアンドラへ続く道には車が全然通らなかった事を不思議に思い尋ねると、この道はアンドラへ向かうメイン道路じゃないからスペインやフランスからの買い物客は利用しない所為だと笑った。
「じゃ〜僕は運が良かったんですね〜」とおどける様に云うと
「そう・・君はとても幸運だったよ」とドライバーのご主人は微笑み返した。
すれちがう車もほとんど無いまま、車は国境のバスターミナルのような場所に到着した。 私は丁寧に礼を云って車を降りた。

既に5時を大きく過ぎていたが、陽はまだ高く、真昼のような位置に太陽は輝いていた。
アンドラの中心地の標高は1000メートルを超えるらしい。空気が美味しく感じられた。
高いピレーネ山脈の山々が間近に連なり、両親の故郷の信州・松本の景観を軽く思い出させた。

国境のターミナルには数台のバスが停まっていた。それらはバルセロナに直通で向かうバスのようだった。中心地に向かうバスの出発口を尋ねると6時過ぎに出るようだ。
ここからアンドラの中心地の街まで20〜30分ほどらしい。私はそのバスを待つ事にした。
しばらくするとボンネット型のバスが喘ぐ様にバスターミナルに登ってきた。

バスが近づくとバスの中から窓を叩きながら私を指差しながら何事か歓声を上げている 見覚えのある顔が三つ並んでいた。カナダの姦しいバックパッかー娘達だった。キャロル小母さんまでが窓に顔を寄せガッツポーズの如く両のコブシを振りあげながら笑っているのが見えた。私も妙に嬉しい気持ちになり、そのバスに乗り込んでいくと、皆から抱擁されてしまい慣れぬ振る舞いに戸惑ったがそれは嬉しい戸惑いだった。

ここで皆と再会出来るとは思いもしなかった。それは彼女達も同じ思いを感じていたようだった。puigcerda駅で感じていた彼女達との会話の徒労感は私の中ではすっかりと雲散霧消していた。
不思議なものだなと感じた。再び合流した我々は三カ国混成チームの如くに妙にテンションが高くなり奇妙なチームワークの良さを感じていた。
他のバスの乗客が呆れたような風情で我々の様子をみているのが感じ取れた。
決して孤独癖ではないが、独りで居ることを時に好む私も時にテンションが高くなることもあるのだ。それは人間嫌いの人恋しさの様な感情に近いものかもしれなかった。

バスはアンドラの中心地Andorra La Vella に到着した。
今度はホテル探しを始めた。この国ではスペイン・ペセタとフランス・フランの両方が貨幣として流通されているようで、料金表示も二ヶ国の貨幣で表示されていた。
最初に訪れたホテルはhostalと呼ばれるシンプルな宿だった。料金を尋ねるとシングルで
600ペセタとマネージャーが云う。キャロル小母さんがドル換算で幾ら?と私に尋ねる。
USドルで9ドル位だね、と答えると自分は疲れたからもうここに決めると、宣言し旅装を解き始めた。無理もないと思った。しかしこの宿は私に取っては三泊分に近い料金で、高すぎる。その思いはカナダ姦しトリオも同じだったらしく、我々は新たな宿を探すことにした。キャロル小母さんは別れ際に一人ずつと抱擁を交わした。私に向かって今日は1日、本当に有難うなどと言葉を掛けながら頬擦りされて、妙に感情が高ぶった。
「きっと街中でまた逢えますよ〜 小さい街だから・・」と云うのが精一杯だった。

4人になった我々は幾つかの宿を当たったが、いずれも我々の予算外だった。
何軒目の宿で4人一部屋でいいか?と宿の主に云われると三人娘が一斉にNO~と大きく叫んだ。
俺だって厭だってば〜・・・
更に我々の宿探しは続き、朝食付で240ペセタ(日本円で700円強)というhostalを見つけた。それはドンピシャで私の中でのスペインでの宿料金のスタンダード価格だった。
部屋を先に見せて貰い、私はここに決めるよと、三人娘に宣言した。彼女達も随分と迷ったようだが、もっと安い宿を探して見るという。彼女達の凄い粘り越しに驚いた。
俺はまだまだ修行が足りないな〜と改めて思った。

じゃ〜また!と別れた私は旅装を解き、共同のシャワーを浴びて食事に街に出ると 道を隔てて三人娘と出くわした。安宿は見つかった?大きな声で尋ねると三人部屋で600ペセタという部屋に入れたと叫んだ。それは良かった・・と私は日本語で呟いた。

日本では見られぬような明るく眩しいほどの大きな月が山際から現れてくると夜のアンドラの街を煌々と照らし始めていた。 



あとがき・・・ アンドラの記憶とメモ書きはここまで、、
アンドラでは数日を過ごしたのですがなんの記憶も残っていません。
バルセロナに戻る時もどんなルートで
帰ったのかもまったく記憶にありません(・・;) 
彼女達と別れたあとは時系列のメモ書きもやめてしまったので、多分
印象に残る事や旅のエピソードは何もなかったんでしょう。
印象に残った人々や出来事だけは深く記憶に刻み込まれていくものなんですね。

【旅行時期】1979/02/~1980/01/
【エリア】アンドラ
【テーマ】鉄道・乗物
【投稿者】kio

欧州・バックパッカーの旅【24】 ピレネーの小国アンドラ公国(by さすらいおじさんさん)

アンドラ
10月1日、パリ・オーストリッツ駅21:56発の夜行列車は2日の7:20アンドラへの拠点、ホスピタレット着。アンドラ行きバス8.5ユーロ・1280円に乗り換えるとすぐに発車した。アンドラ行きは列車とバスが接続しているのだが、アンドラからの帰路、トゥールーズ行きのバスと列車の接続便が解らないままアンドラに向かっていた。パリからの夜行列車で見かけ、アンドラ行きバスの隣の席に座ったブラジル・リオから来たという青年に聞くと、14時アンドラ発トゥールーズ行きバス(29ユーロ・4350円)があって、そのバスに乗らないと明日の早朝発のホスピタレット行きのバスを待たねばならないとのこと。9時にアンドラのツーリストインフォーメーション前でブラジルの青年と一緒にバスを降りて、地図とバス時間表をもらうが、ブラジルの青年が言う通りだった。バスターミナルに行き14時発のバスチケットを買ってから街を歩く。
アンドラの歴史は古く、839年にスペインのウルヘル司教が教権行使を認められたことに遡り、1278年、後にフランス王家に統合されたフォア伯爵が司教と対等の封建領主権(徴税権、裁判権、徴兵権)を得たという過去の歴史に基いて、現在はスペインのウルヘル司教とフランス大統領の2人が共同元首をつとめる共和制の国家となっているとのことで、1993年にフランスとスペインが独立国家としての承認をしている。私はヨーロッパ各国は領土をめぐる争いの歴史を持つが、その中でも小国が生き残っていることに興味を持っていた。世界一面積が小さいバチカン、2番のモナコ、5番のサンマリノ、6番のリヒテンシュタイン、10番マルタ、17番アンドラがなぜ生き残ったのか。宗教的歴史から独立国を保っているバチカン市国、サンマリノ、マルタ、王侯貴族の領地であった歴史から独立国を維持しているリヒテンシュタイン、モナコ。アンドラは宗教的歴史、王侯の領地の歴史の両面を持っている。いずれの国も古くから自治権を持っていた歴史を持ち、歴史を根拠に独立を維持していると言えるだろう。だが、小国を維持するためには周辺国の協力が必須で国民はメリット、デメリット、両面があると思う。
アンドラはピレネー山脈にある美しい国で、ブランド品が安く買えることを目玉にして年間1000万人の観光客が訪問する観光国だ。私も小型リュックを探していたのだが、ブランド品では無いが14.5ユーロ・2180円で質のいいものがあり、食料品もフランスより安価だった。
14時発のバスで17時トゥールーズ着。ピレネー近郊のカルカッソンヌ、ルルド、バイヨンヌ、アルビへの観光拠点にしようとしているベルモントホステルに行き宿泊予約した。地下鉄2往復4.8ユーロ・720円を買いガロンヌ川の夜景を見て22:35トゥールーズ発の夜行列車でパリ・オーストリッツ駅に10月3日6:50に戻った。
(アンドラの費用)
移動費;ホスピタレット−アンドラのバス8.5ユーロ・1280円、アンドラートゥールーズのバス29ユーロ・4350円 計5630円
食費;1440円
雑費;3200円
合計;10270円
(写真はアンドラの公園)

【旅行時期】2006/10/02~2006/10/02
【エリア】アンドラ
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】さすらいおじさん

欧州・バックパッカーの旅【28】 フランス・パリの風景(by さすらいおじさんさん)

アンドラ
パリの歴史、文化面の魅力は尽きないが、今回はパリに5泊してパリのいろんな表情を見ることができた。セーヌ川を中心とした光景は何度見ても飽きない。パリには並木道が多く、歩いて見ると一つ一つの道が違った顔を持っていることがわかる。
ノートルダム大聖堂の塔に登ったのは1971年以来なのだが、中世のゴシック建築の最高傑作と言われる大伽藍と精巧な彫刻、魔除けの悪魔像・ガーゴイルもいろんな表情があり、何度見ても素晴しい。今回はヴィクトル・ユーゴの小説「ノートルダムのせむし男」が守っていた鐘楼にも登ってみた。大聖堂から見るセーヌ川沿いやモンマルトルのサクレ・クールは美しい。
長蛇の列で登るのは諦めたがエッフェル塔を真下から見たのも1971年以来だった。サン・マルタン運河やモンマルトルの下町を歩いたこともいい思い出になった。
大きなリュックサックを担ぐことが腰の負担になったので、フランスではパリのホテルに荷物を置いてロワールの古城、オルレアン、モン・サン・ミッシェル、トゥールーズ、アンドラを往復したが、フランスの鉄道はパリを中心にしているので時間的にも体の負担面でも良かった。特にアンドラ往復は夜行列車を使ったので宿泊費の面でもコスト減ができた。
パリを満喫した10月6日の夜、5泊したホテルをチェックアウトしてオーストリッツ駅22:56の夜行列車でトゥールーズに向かい10月7日6:41着、ホステルにチェックインした。
(パリの費用)
宿泊費;20ユーロ・3000円x2=6000円 15ユーロ・2250円x3=6750円 計12750円
移動費;地下鉄回数券10回10.9ユーロ・1630円、カルネ・オランジュ16ユーロ・2400円、空港−リヨン駅8.1ユーロ・1200円、パリ−ベルサイユ往復5.4ユーロ・810円、レンヌ−モンサンミッシェル往復のバス20.2ユーロ・3030円、フランスレールパス46600円、予約料18ユーロ・2700円 計58370円
観光費;ベルサイユ宮殿13.5ユーロ・2030円、カルト・ミュゼ30ユーロ・4500円、ロンシャン競馬場10ユーロ・1500円、シュノンソー城9ユーロ・1350円、ジャンヌダルクの家2ユーロ・300円 計9680円
食費;4120円
雑費;携帯傘5ユーロ・750円、その他 計2250円
合計;87170円
(写真はパリの並木道)

【旅行時期】2006/10/05~2006/10/06
【エリア】パリ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】さすらいおじさん

欧州・バックパッカーの旅【22】 フランス・パリでディープ・インパクトを応援にロンシャン競馬場へ(by さすらいおじさんさん)

アンドラ
10月1日は第1日曜日でパリのほとんどの美術館に無料で入館できる日、そして日本人期待のディープ・インパクトが凱旋門賞に出走する日だった。モンマルトルのホテル・デ・パルメにはオーベルジュ・インターナショナル・デ・ジュンヌが満員で紹介されて来た日本人が10人ほど宿泊しており、その大半が凱旋門賞を目的にしており、朝食では競馬の話に花が咲き、有力馬情報、競馬場へのアクセスなどたくさん教えてもらい、野次馬根性では人に負けない私も応援に行くことにした。
午前10時から15時まではオルセー美術館と国立近代美術館を見学。無料なのに思ったほど混んで無く、ゆっくり見ることができた。
その後地下鉄でブローニュの森に近いポルトドートゥイユに行き無料バスでロンシャン競馬場に16時着。凱旋門賞は衰退したフランス競馬再興のために1920年に創設された世界最高峰のレースとのことでスタンドは満員。入場料は8ユーロ・1200円で日本人はツアーなどで6000人応援に来ていたとのことで日本人向けインフォーメーションもあった。日本人応援団は日の丸やプラカードを掲げて声援している。ホテルで知り合った日本人と出会って聞くと100ユーロ以上の馬券を買ったとのこと。私は馬券を買ったことが無かったのだが、ご祝儀と記念でディープ・インパクト単賞1枚2ユーロ・300円を買った。17:30の出走前には前日には3番人気と聞いていたディープ・インパクトが単賞1.1倍の大本命になっており、大型ディスプレイ装置は武豊や日本人応援団の姿を何度も映し出した。レースは日本人が大声援を送ったのだが、残念ながらレイルリンク、プライドにゴール前でかわされ3着。スタンドの日本人応援団は静まりかえった。帰国後にディープ・インパクトが失格になっていたことを知ったが、11月26日のジャパン・カップで見事に復活したのが嬉しかった。私が競馬場に足を運んだのは子供の遊び場もある京都競馬場に家族でエリザベス女王杯を見に行った一度だけだったが,パリで世界最高峰の競馬を見られるとは、いい体験をさせてもらった。
レース後、ホテルで同宿の日本人とパリ・オーストリッツ駅のカフェで残念会をし、21:56発の夜行列車でアンドラへの拠点、ホスピタレットに向かった。
(写真はロンシャン競馬場でのレース)


【旅行時期】2006/10/01~2006/10/01
【エリア】パリ
【テーマ】スポーツ観戦
【投稿者】さすらいおじさん

欧州・バックパッカーの旅【20】 フランスのパリからヴェルサイユ宮殿へ(by さすらいおじさんさん)

アンドラ
9月28日20時にパリのドゴール空港に着。心配した入国審査も厳しく無かった。空港のアメリカンエキスプレスの換金所ではユーロのトラベラーチェクをコミッション無しで現金と交換してくれるというので全額1800ユーロを交換した。パリのホステルは4TRAVELで情報をもらい、1拍15ユーロで一番安価な「白い門」にアイルランドから予約メールを出し、国際電話カードを買って予約の電話をしたのだが、既に満員。已む無くやはり1泊15ユーロのオーベルジュ・インターナショナル・デ・ジュンヌにメール予約するがこちらも満員。パリの安いホテルはかなり早い時期に予約が必要だった。28日は空港で夜を明かすことにした。空港の待合スペースで寝ている人は20人近くいた。そこで出会った、ニースでフランス語留学している東京の女性や韓国・プサンの女性歯科医などからもパリの交通パス(カルト・オランジュ=月曜日から日曜日まで1週間の地下鉄、バスの乗り放題パス16ユーロ・2400円)や美術館、博物館のパス(カルト・ミュゼ=2日間30ユーロ・4500円)などの情報をもらった。29日の午前7時まで寝袋で寝てRER・高速郊外鉄道8.1ユーロ・1200円でリヨン駅まで行きオーベルジュ・インターナショナル・デ・ジュンヌに9時過ぎ着。だが29日も満員でモンマルトルのホテル・デ・パルメを紹介され、パリ市内のメトロ、RER、バス共通10回分回数券・カルネ(10.9ユーロ・1640円)を買って地下鉄でプラス・ド・クリシーまで行き、1泊20ユーロ・3000円でようやくチェックインできた。
29日はベルサイユまで往復RER5.4ユーロ・810円で行きベルサイユ宮殿・13.5ユーロ・2020円を見学。1971年に見逃した宮殿だが、鏡の回廊はじめ、宮殿内装、庭園の豪華さに目を見張った。ベルサイユ宮殿ではチケット購入に時間がかかり、しかも高価。後で購入したカルト・ミュゼが使えたことを知り、あわててベルサイユに行くことは無かったと反省した。ベルサイユ鉄道駅で9月30日のモン・サン・ミッシェル観光のためにパリ−レンヌ往復のTGVの予約(3ユーロ・450円x2=900円)と10月1日アンドラ訪問のためのパリーL'HOSPITALET・ホスピタレットまでの夜行列車予約(3ユーロ・450円)をし、パリに戻った。
(写真はベルサイユ宮殿の鏡の回廊の入口)

【旅行時期】2006/09/28~2006/09/29
【エリア】ベルサイユ
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】さすらいおじさん

アンドラとは?

アンドラ公国(アンドラこうこく)、通称アンドラは、ピレネー山脈にあり、スペインとフランスに囲まれている国家 国。ミニ国家の一つ。首都はアンドラ・ラ・ヴェリャ。国家元首(共同大公)はフランスの国家元首(現代では共和国大統領 (フランス) フランス大統領)とスペインのウルヘル司教である。
略名 アンドラ
日本語国名 アンドラ公国
国旗画像 Flag_of_Andorra.svg
国章画像 Image:Andorra coa.png 100px アンドラの国章
国章リンク (アンドラの国章 国章)
位置画像 LocationAndorra.png
公用語 カタルーニャ語 カタロニア語
首都 アンドラ・ラ・ヴェリャ
最大都市 アンドラ・ラ・ヴェリャ
元首等肩書 アンドラの元首 共同元首

アンドラの詳細